ミュージカル『紳士のための愛と殺人の手引き』を観てきた

なかなかよかったので、あれこれと書き留めておきます。

ミュージカル通の方にも、ミュージカル観劇の初心者という方にも、安心しておススメできる出来栄えだと思います。

東京公演は、今月いっぱいしかやってませんが、大阪、福岡、愛知と全国ツアーがあるそうなので、観劇できるチャンスはまだあるようです。

公式Webサイト
http://www.tohostage.com/gentleman/




台本

物語の概要は、公式Webページにあるので割愛しますが、タイトルに「殺人の手引き」とあるので、スリラー系なのかと思いきや、まったくのコメディです。

殺人が繰り返されるミュージカルとしては、「スウィニートッド」とか「オペラ座の怪人」などがありますが、そのような雰囲気はまったくありません。

また、コメディとは言え、恋愛要素はサブプロット的な扱いで、メインはあくまで「殺人」。王道からは少し外れた変化球的な作りになっています。

この台本の卓越さは「殺人」という倫理的にまずい行為がきちんとしたコメディとなるところ。

殺される側の人間が少し反倫理的な、ようするに「利己的で感じの悪い金持ち」たちで「庶民の敵」となるように描かれている。

殺人を繰り返す青年のほうも、刃物で斬殺するとか、毒を盛るといった殺人らしい実行行為をせず、偶然の要素がないと死ぬことはないというような感じで殺していく。(むしろ、偶然の要素が大きい)

専門的な言い方しますと「保護責任者遺棄」とか「未必の故意」といった事案で、「疑わしきは被告人の利益に」となる近代刑法下では殺人の罪に問えなさそうな案件ばかり。

この堅牢な枠組みに乗っかって、殺人の話がなぜかコミカルな話として了解できてしまうという不思議な感覚を体験できます。


 1人8役


そんな枠組みの中、8人もの登場人物が死んでいくわけですが、その死んでいく役のすべては、たった1人の俳優によって演じられます。血縁のある8人ということで、顔が似ているという設定も面白い。

その殺され役を日本ミュージカル界のレジェンド、市村正親さんが演じているのですが、これがほんとうに素晴らしい。

これまで硬軟さまざまな役を演じてきた彼ならでは演技で、個性的な男女8人をきっちりと演じ分けています。

おもしろい市村さん、カッコいい市村さん、怖い市村さん…等々、たくさんの市村さんを一度に堪能でき、しかもそのそれぞれの役が死んでいくというシュールな場面を何度も楽しめる。

通常、登場人物の死というような「見せ場」は、1つの舞台でそう何度もあるわけではないので、かなりお得な感じ。


音楽

ロンドンのお話であるので、アメリカ的なジャズの要素はほぼ排除されています。

反面、通常のミュージカルに比べると3拍子の楽曲がかなり多い。これはおそらく「上流階級」というイメージを作り出すためと思われます。

そうなのですけれど、本格的な「上流階級」という感じでもなくて、どこか庶民的な雰囲気。

3拍子はワルツのようではあるのだけれど、やや遅いテンポのワルツで、社交界のワルツというよりはドイツ民謡などによくあるレントラーを彷彿とさせるのです。

これは一体どんな系譜の音楽なのかと観劇しながら考えたのですけれど、私なりの分類のしかたで言うと、ディズニーアニメのレトリックに近い気がしました。

これはこれで奇想天外なコメディにはぴったり合うのかもと思う反面、ロンドンにしては能天気すぎる気がしないでもない。

とはいえ、音楽でゴリ押ししていくような感じの作りではなくて、台本にすっと寄り添うような感じの音楽なので、音楽的な知識が無駄にある人でなければ、あまり気にならないかもしれません。

音楽に際立った個性はないかもしれませんが、作りはかなり凝っていて、台詞に音楽が割り込んで来たり、込み入った重唱もあり、さまざまな小技が織り込まれています。

ので、歌うのは難しそうなんですけれど、今回のキャストは見事に歌いきっていて、合唱や重唱のハーモニーも美しい。


演出

ブロードウェイ版のコピーではなく、日本版の新演出とのことですが、なかなかいいです。

翻訳と訳詞もなかなかよくて、おそらく超意訳してあるんでしょうけれど、地口(ダジャレ)もあり、脚韻もありで、軽妙でこなれた感じです。

場面転換はほぼ明転で暗転しないので、小気味よいテンポで話が展開します。

この流れるような演出は「レ・ミゼラブル」の演出に通じるところもあり、実際、そういうシーンのパロディ(オマージュ?)とも思える演出もあって、ミュージカル通ならニヤリとするでしょう。

逆に言うと、そういう経験がない人には、そのような舞台演出の醍醐味を確実に味わえるはず。

もう1つ特筆すべ点は、照明の使い方が効果的であること。

このミュージカルには群舞を見せつけるシーンはあまりなくて、舞台に乗る俳優が数人しかいないというシーンが少なくないのですけれど、照明の当て方が秀逸で、そうしたシーンが間延びしません。

やっていることはシンプルで、登場している俳優が演じる部分にのみ光を当てるというだけのことなのですけれど、そのスポットも変幻自在で、丸形の手動のスポットもあるし、部屋の縁取りをした四角系の据え置きスポットもあるし、といろいろなところにいろいろな光が当たります。

逆に、アンサンブルが活躍するときには、舞台全体が照らされて演技空間がぐーんと拡がり、「おお!迫力ある」とその都度なります。

このような伸縮自在の舞台空間というのは、舞台芸術ならではのもので、非日常的な特別な感覚がして楽しい瞬間です。


オーケストラ

昔のオケは、トランペットは普通に音を外すし、アインザッツもだらけてバラバラだったりすることも少なくなかったのですけれど、今回のは全然違っていました。

室内楽的な小編成の編曲だったのですが、アラが目立つこともなく、トランペットのハイトーンはすべて外さず、テンポはぐるんぐるんと変わるというのに、俳優と演奏の息はぴったり。

近年の若い演奏家たちの技術の向上は、目を見張るものがあります。

一曲の中で、歌と芝居が交差するというようなシーンも数多くあったんだけれど、そうした箇所の息もぴったりで、絶妙な間で音楽がすっと入ってくる。

録音したオケ伴奏とかじゃ絶対にできない生演奏ならではの醍醐味です。


PA

昔のPAだと、歌詞が聴き取れるのは6割ぐらいで、残りは雰囲気で感じ取れとなる感じだったのが、今回はほぼ聴き取れました。

オケが小編成というのもあるし、伴奏の薄いソロ歌が多かったこともあるけれど、昨今の機材の性能があがったということも関係するのかなと思ったり。

無伴奏のソロ歌のシーンなどは、劇場全体に俳優の細やかな息づかいが響き渡ってゾクゾクします。

公式サイトに動画がありますけれど、動画の音とは雲泥の差です。

合唱はかなり複雑なハーモニーをやるのだけれど、このハーモニーもバッチリで、演者への音の「返し」が一体どうなっているのか謎。

オーケストラピットが舞台後方にあったので、主にその生音を聴いて歌っているのかな。


総じて

前衛的なオリジナル要素というのは、あまりありませんが、それゆえ、とっつきにくさとか、好みが分かれるということもないと思います。

これまでのミュージカルの歴史が作り上げてきた「こうしておくと面白い」という型がふんだんに盛り込まれているので、安心して楽しめます。

それでいて、古めかしい感じになっていないのは、「殺人の手引き」という部分と、「1人8役」という部分の変化球が効いていますね。

現代のブロードウェイはこういうふうになっているんだなーと勉強になりました。